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大学生は目線を上げ続けることが重要 学生団体・サークル・委員会の質を上げるために

 

大学生は目線を上げ続けることが重要

 組織活動をしながら、バイトをしながら、学業とも両立させながら、その他自身のやりたいこと、やるべきことへの時間も割きながらの学生は、どうしても忙しくなりがちです。

 

忙しくなった学生がよく陥りがちになるのは、「目線が下がること」です。

 

目線が下がるとは、さきほど説明したような「大きな」目標や夢など遙か彼方へ飛び、自分の軸も見失い、学ぶべき姿勢も、やりがいも、楽しさも、何のために自分がそれをやっているかも見失い、目の前にあることを「処理」すること「全神経を傾けてしまうこと」です。

 

言い換えると、「手段が目的化する」という場面です。

 

目の前の「仕事」をいかに効率よく、早く処理するかも重要な視点です。そして、たちの悪いことに、そのような人はてきぱきと動き、「仕事ができる」と評されることもしばしば。しかし、処理だけがうまい人にはならないでください。

 

いつも冊子の例を挙げて恐縮ですが、私が所属していた学生委員会での冊子企画での例を挙げます。

 

私の後輩で冊子企画の責任者をしていた方がいました。仮にAさんとします。

 

Aさんは、周囲からは仕事ができる部類として認識されていた方でした。周囲にタスクを振り分け、企画の中での決めるべきことを周囲の意見も取り入れながらどんどん進め方を考えていました。

 

Aさんはいかに効率よく、短時間で行うか考え行っていくことにはとても秀でている子でした。しかし、冊子の編集段階で問題が起きます。

 

Aさん主体で編集が進んでいたのですが、その子が「これで印刷に出します」と言って差し出した仮の冊子データを見ると、「配慮がないページ」が実に多いのです。

 

ここでいう配慮とは、以下の記事で解説したマーケティング的視点を踏まえてのページ作成を始め、資料作成上なされるべき、デザイン面、内容面、文章面、その他あらゆる配慮を指します。

 

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我慢ならなくなった私は、Aさんに尋ねます。「あなたが作りたかった冊子とはどのようなものか?」と。

 

新入生が見る冊子だったのですが、「自分が昨年読んでたくさんのことが網羅されていて、多くのことを知ることができたので、今年もそのような意味で新入生に役立つような冊子にしたい」というような回答が返ってきました。

 

それ以上は何も言いませんでしたが、それならそれで、しっかり「網羅性」に注力したコンテンツや、デザイン上の配慮や、内容の取捨選択や、その他多くの工夫を考え、着眼点を増やし、実践することができたわけです。

 

時間に限りがあったとはいえ、そのような姿勢がみじんにも感じられなかったことは、つくづく私の教育不足だと思っていたものでした。

 

Aさんはまた言うのです。「私にはデザイン上のセンスがなく、感覚派であり、編集のために必要なポイントも理解できていない」と。

 

ですが、私はAさんが本当に自分なりに「よい冊子」の定義を定め、その目標像を追い求め、そのために必要な点を見出している姿勢を感じ取ることができませんでした。

 

どのような着眼点に気をつければ良いか、資料作成に必要なデザインの知識や、文章力を向上させる方法や、その他多くの着眼点について、まったく私はAさんに尋ねられることがなかったのです。

 

「教えようか?」とも聞きましたが、返ってくるのは「私にはセンスがなく感覚的だ」の一点張り。強制するわけにもいかず、困ってしまった私はかなり自分で編集に手を加えてしまいました。

 

Aさんはそもそも、良い物を作ろうとしていたのか?私はとても疑問に思いました。確かに、Aさんが「これで良い」として差し出してきたのは、「内容的に間違いがなく、指摘された修正ポイントはクリアしていた」ものでした。

 

しかし、1ページ1ページがどんな人に向けて作られたのかも分からぬ「色のない」もので、冊子全体として、どのような点に注力して編集がなされたか、焦点がぼんやりしている無機質なページの集合体であったように感じます。

 

デザイン的に洗練もされておらず、どこか物足りなさをも感じさせました。

 

学業に精一杯だったのかもしれない。Aさんは確かにセンスがないのかもしれないし、マーケティングやデザインや、広告物や文章や、あるいは「伝えるという行為」そのものや、工夫を凝らすということ、その他着眼点にまったく興味がないのかもしれない。

 

しかし、冊子企画の責任者である以上、良い物を定め、メンバーと共有し、その定めた理想像を追い求め、着眼点を出し続け、それらの点で高みを目ざすにはどうすればよいのかを考え、実践しなくてはならない。

 

自分ができないなら、できる人を探し、あるいはできる人がいなくても、メンバーに分担してそういった着眼を可能な限り指し示し、自覚させ、高みを目指し、成果を出す責務があると、私は思います。

 

繰り返しますが、Aさんは頭の回転が速く、勉強もできる方です。頭もよく、処理能力に長けます。しかし、「処理」や「数的判断」は得意ですが、創造性、クリエイティブ面での姿勢は、あまり感じることができませんでした。

 

どちらも大切なのです。じっくり考え「創造」し、案を練る時間を取ることが重要な場面もあれば、素早く決め処理することが大切な場面もあります。

 

適性、得意不得意もあります。しかし、苦手だとしても、しっかりどちらにも目を配らなくてはならない。どちらもある程度はできなくてはならない。それは大人になっても重要であると感じます。

 

さて、また事例の解説が長くなりましたが、どんな人でも、締め切りに終われ、忙しくなり、多くのことを短時間で成し遂げることに美徳を感じさせる現代では、このような「処理」に忙殺されがちになります。

 

高校生までの教育でも、「与えられた問題をいかに短時間で正解を出すか」を求められる場面が多かったことから、むしろ高学歴で頭の良いな方がこのような状況に陥ったり損をしていないか、1人の大学生として私は少し懸念しています。

 

大人になり、仕事に追われることになっても、チームや会社、その他組織においての目標、プロジェクトの大きな目標、自分自身の素晴らしい大きな目標や夢を大きく思い描きながら、そこに向かっての着眼点を見出し、「創造」を重ねながら、1日に1回くらいはそのようなことを少し意識していくことが大切ではないかと思います。

 

決して「追われ、終わらす」だけの仕事やプライベートにはしないでいただきたいところです。

 

そうしないと、仕事に追われ、プライベートにも楽しみを見いだせない、日々がマンネリ化する大人になってしまい、損をする可能性が高くなると思われます。